手筒花火・・・戦国時代よりヤマサの故郷・豊橋に伝わり、夏の風物詩とされる伝統の煙火。 天高く噴出する火柱、滝のごとく流れ落ちる火の粉。その勇壮な美は、穂の国人の心意気を一瞬のきらめきの中に映し出します。創業文政十年、手筒花火の発祥地に生まれ、伝統を受け継ぐ誇り高き男たちとともに育ってきたヤマサのちくわ。祭礼の酒の傍らにはいつも、ヤマサの姿がありました。 直径十二センチほどの孟宗竹に荒縄を巻き、火薬を詰めて火柱を噴き上げる手筒花火。穂の国の人々にとっては、「これがなくては夏が始まらない」ほどに愛着のある伝統煙火です。永禄元年・吉田城下(現・豊橋市)吉田神社で初めて奉納されて以来、故郷の誇りとして愛され続けてきました。花火工場で製造される一般の花火と異なり、放揚者自らが一から自作するのが最大の特色。その製法は年長者から若者へと大切に伝承され、誕生から414余年を経た今もなお、手筒花火を愛する人々の手によって近隣市町に伝えられ、広まり続けています。 |
手筒花火の製作には実に数週間が費やされます。しかし放揚時間はわずかに数十秒。男たちはその瞬間に勇気と誇りを注ぎ込みます。一度点火されれば、放揚中は無我の境地。心の中を真っ白にして、火の粉の中に立ち尽くす姿、その雄々しさ、逞しさこそ、手筒花火の心意気です。 「放揚中は火の粉の熱さも周囲の歓声も感じない。故郷への誇りが全身を包み、心を満たしてくれる」と、放揚者たち。体験した人にしかわからない悦びが、手筒花火の力の源。放揚後の手筒は家の守りとして門口に飾られます。 放揚時の極度の緊張感から解き放された後の一献はまた格別の味。文政年間より酒肴として親しまれてきたヤマサのちくわは、そんな男たちのくつろぐ姿を、時代を越えて見つめてきました。江戸時代のいなせな若衆も、平成の時代の男たちも、盃を傾ける笑顔は同じ。情熱のすべてを一瞬に燃やし尽くした男たちに、疲れを癒すおいしさを提供すること。それが、故郷の味として人々に育てられてきた、ヤマサちくわの誇りです。 そして、2004年夏。手筒花火の心意気を、そして故郷・豊橋への愛着をもっと多くの人に伝えたいと、手筒とともに歩んだ歴史を変わらぬ味に託した「手筒竹輪」が誕生しました。精魂込めた多彩な竹輪を手筒花火の風情を鮮やかに映し出すオリジナルパッケージに詰めた当地ならではの個性ある品。お召し上がり後も、縁起の良いインテリアとして様々に活用いただけます。 手筒花火の発祥地とされる吉田神社の祇園祭。 奉賛会一同、手筒の元祖としての誇りを胸に伝統の技と心意気を守り続けています。 |
(掲載日:2004年6月)